開始日時 | 2013/12/31 09:15:14 | 終了日時 | 2013/12/31 12:27:08 |
水平距離 | 11.06km | 沿面距離 | 11.72km |
経過時間 | 3時間11分54秒 | 移動時間 | 2時間45分41秒 |
全体平均速度 | 3.67km/h | 移動平均速度 | 4.21km/h |
最高速度 | 8.20km/h | 昇降量合計 | 399m |
総上昇量 | 199m | 総下降量 | 200m |
最高高度 | 135m | 最低高度 | -22m |
2013/12/31 09:24:55
奥の細道の山刀伐峠は雪で歩けないので、鎌倉街道の下の道を歩くことにしました。奥方も付き合ってくれるというので二人旅です。
鎌倉までJRで行き、鶴岡八幡宮が下の道の出発点です。
2013/12/31 09:28:21
本宮にお参りしていきます。植え継がれた銀杏はまだ小さいようです。
2013/12/31 09:42:06
流鏑馬馬場が鎌倉道の起点ともいわれているらしいので、近道をして歩いていくと、関取場跡の石碑がありました。北条氏が関所をここに設け、通行税を取っていたそうです。
2013/12/31 09:45:05
少し先に歌の橋がありました。1213年に、和田胤長の事件で処刑されることになった渋川刑部兼守が、和歌10首を詠み荏柄天神へ奉納しところ、将軍実朝は感心して罪を許し、兼守はこれに報いるためにこの橋を架けたといわれているそうです。
2013/12/31 10:05:48
久しく見かけなくなった丸形郵便ポストが鎌倉にはまだ現役で残っています。
2013/12/31 10:18:29
十二所から山道になってきました。左に太刀洗水がありました。梶原景時が刀を洗ったと伝えられているそうです。
2013/12/31 10:19:15
すぐ先に三郎の滝がありました。切通しを一夜にして切り開いたという朝比奈三郎義秀にちなんで付けられた名前だそうです。
2013/12/31 10:29:06
朝夷奈切通しの峠に着きました。ここから横浜市です。
2013/12/31 10:37:32
切通しから降りてくると庚申塔や道祖神が並んでいました。
2013/12/31 10:55:24
県道を六浦に向かって歩いていると、左に鼻欠け地蔵がありました。相模国と武蔵国の国境で、界地蔵とも呼ばれていたそうです。
2013/12/31 11:04:41
道の右側の駐車場に小泉又次郎誕生地碑があります。小泉純一郎元首相の祖父小泉又次郎氏の生家があったそうです。
2013/12/31 11:28:49
金沢八景の駅を過ぎると瀬戸神社がありました。源頼朝が挙兵に際して戦勝を祈願して、伊豆三島明神を勧請したのが瀬戸神社の始まりだそうです。こちらもお参りしていきます。
2013/12/31 11:35:24
少し先に、明治憲法起草の地、料亭東屋跡がありました。明治20年伊藤博文、伊東巳代治、金子堅太郎、井上毅らが明治憲法制定のため草案を起草したところだそうで、金子・伊東は東屋に泊り、伊藤は夏島の別荘から、井上は野島旅館から通い、その後、伊東・金子両名は夏島の伊藤の別荘に移り、草案が完成されたそうで、横須賀の夏島にも碑があるそうです。
2013/12/31 11:37:01
すぐ先の交差点そばには、大きな憲法草創之處があります。最初は東屋の庭にあったものを移したそうです。
2013/12/31 12:26:11
昼になり、金沢文庫駅のそばのラーメン屋で昼食をし、早いですがここから帰りました。