開始日時 | 2012/04/29 08:33:11 | 終了日時 | 2012/04/29 16:48:06 |
水平距離 | 41.95km | 沿面距離 | 42.71km |
経過時間 | 8時間14分55秒 | 移動時間 | 8時間01分27秒 |
全体平均速度 | 5.18km/h | 移動平均速度 | 5.31km/h |
最高速度 | 16.22km/h | 昇降量合計 | 761m |
総上昇量 | 437m | 総下降量 | 324m |
最高高度 | 228m | 最低高度 | 86m |
2012/04/29 08:37:20
ネットで調べて、運賃が安く済む東上線寄居経由で小前田まで3時間あまりかけて行き、かまくらみちのところまで戻ります。
すぐに秩父鉄道の踏切があります。
2012/04/29 08:47:18
少し歩いて県道に出て、すこしで右に八幡神社がありました。
すぐ側には鎌倉街道の説明板があり、先には常光寺があります。
2012/04/29 09:01:42
左手に大きな道標や庚申塔がありました
2012/04/29 09:10:32
用土の駅に入るところに諏訪神社がありました。
2012/04/29 09:14:47
少し行くと、右手の公民館の前に庚申塔などが並んでいました。
2012/04/29 09:36:35
しばらく行き、天神橋で国道を横切って少しで民家の前に庚申塔がありました。ここを左に坂を登っていきます。
2012/04/29 09:38:23
すぐ先の右手に神社がありましたが、正面は国道のほうを向いています。
2012/04/29 09:48:13
駐在所を過ぎ、右手に馬頭尊と庚申塔がありました。案内ではこの手前、右に入るようでしたが、真っ直ぐ来てしまったようです。
2012/04/29 09:53:11
大仏の集落にはいり、六道能化地蔵尊の石仏がありました。
2012/04/29 09:58:58
右の地道にはいるところに大きな庚申塔が並んでいました。
2012/04/29 10:11:44
広木の集落に入り、川を渡ったところに右に曝井の遺跡があるとの案内があったので、寄り道をして見に行きました。万葉集巻九の恋歌に「三栗の中にめぐれる曝井の絶えず通わんそこに妻もが」と読まれているそうです。
2012/04/29 10:29:27
国道に出て少しいくと、エーザイの工場の向かいに広木の一里塚公園があり先に一里塚の碑と馬頭観音がありました。樹齢400年の榎があったそうですが、切り株が残っているだけで、根元に文化四年の馬頭尊がたっているとの説明であるが、切り株もなくなってしまったようである。ここを左手にいくのが街道のようであるが、身馴川が渡れないので、国道の身馴川橋を渡って行きます。すぐ川沿いに左に行って、本庄児玉病院のところを右に行くのがよかったようであるが、広い道をいって手前を右に曲がってしまったようである。
2012/04/29 10:49:03
児玉の町並みに入り、右手に龍體稲荷神社がありました。すぐ先を右に入ると鎌倉街道上道の案内板があります。
2012/04/29 11:05:27
細い道をしばらく行くと八高線に沿って左に曲がり、ガードをくぐると長福寺がありました。この先バイパスの手前で左に曲がって、また右に曲がってバイパスに出てしまいましたが、バイパスに出ないで真っ直ぐ行くことができたようです。
2012/04/29 11:23:50
八高線に沿っていきます。高崎行きの電車に抜かされます。
2012/04/29 12:06:02
神流川の手前まで来ると、石仏などが並んでいました。そばにはお堂もあります。
2012/04/29 12:12:48
川を渡るにはだいぶ下流まで行かなくてはなりません。車の来ない土手の上を歩いていきます。・・・が、土手がなくなってしまいます。早めに右の道に降りましょう。
2012/04/29 12:57:38
橋を渡って戻っていると、埴輪窯跡がありました。古墳時代には、ここで埴輪を作っていたようです。
2012/04/29 13:02:43
すぐ先に左手に広々とした土師神社があり、境内に土師の辻があります。屋外で相撲を行っていたところを相撲辻といい、ここは日本三辻のひとつだそうです。街道はもうすこし南だそうですが、ここから畦道などを通って西に向かいました。
2012/04/29 13:23:11
庚申山の中腹まで上ってくると、山頂のほうに向かう道との交差点の左手に道祖神などがありました。少し先の右手には庚申塔もあります。
2012/04/29 13:40:56
鮎川の集落に入るところに道祖神があり反対側の角には壊れた古いお地蔵さんと新しいお地蔵さんなどもあります。
2012/04/29 13:53:43
鮎川の集落に入ると、酒屋があったので、発泡酒とつまみを仕入れ、のどを潤します。この日は天気も良いけど暑い日で、腕は真っ赤に日焼けしてしまいました。酒屋の向かいに道標があり、正面西平井 東平井美九里鬼石、右藤岡町道などと読めます。
2012/04/29 14:16:33
先の川は渡れないので、すこし上流の橋を渡って迂回します。大きく迂回していると大聖峰寺があり、その前に立派な木がありました。
2012/04/29 14:22:19
街道筋に戻ったところに庚申塔などが並んでいました。
2012/04/29 14:30:12
高速と国道を越えていくと、吉良上野介陣屋井戸跡がありました。元禄時代、吉良家の領地が白石にあり、ここに陣屋が置かれ、領主吉良若狭守の正室が、伊香保温泉に湯治した帰途、この屋敷に滞在して、嗣子上野介義央を産み、産湯を汲んだのが、この井戸だと伝えられ、井戸水は毎月一回赤く染まるので「汚れ井戸」と呼ばれていたことなどが説明板にあります。
2012/04/29 15:02:10
鏑川を少し迂回して渡っていくと真光寺があり、その前には庚申塔がありました。
2012/04/29 15:20:57
しばらく行って西山名駅のそばを通って峠を越えると地蔵堂がありました。街道筋は駅のほうには曲がらずに、能力開発機構群馬センターから山名駅のそばを通っていたようです。
2012/04/29 15:32:37
電話ボックスと並んで観音様のような石仏があります。
2012/04/29 16:05:40
高崎商科大学を過ぎ、烏川を渡って歩いていくと、新幹線の高架の向こうに定家神社がありました。
2012/04/29 16:11:42
少し行くと舟橋歌碑があります。「かみつけの佐野の船はしとりはなし、親はさくれどわはさかるがへ」と刻まれているそうです。
2012/04/29 16:22:18
秩父巡礼の道しるべがありました。左婦ぢおかちゝぶミち、右高崎とあるようです。
2012/04/29 16:22:49
すぐ先に道祖神がありました。このさき道祖神の右を真っ直ぐ行きますが、誤って左に曲がって少し回り道をしてしまいました。
2012/04/29 16:26:04
新幹線を越えると琴平神社があります。ここから、街道は城南野球場の横を通って、小万地蔵尊を通り、高崎城の三の丸に行っているようですが、資料を読み間違えて真っ直ぐ高崎駅に向かってしまいました。
2012/04/29 16:44:35
何箇所か道を間違えながらも、暑い中をなんとか歩きとおしました。発泡酒500cc2本とつまみを買って、湘南新宿ラインの客となりました。