開始日時 | 2012/02/11 08:23:50 | 終了日時 | 2012/02/11 14:28:12 |
水平距離 | 28.61km | 沿面距離 | 29.04km |
経過時間 | 6時間04分22秒 | 移動時間 | 5時間40分17秒 |
全体平均速度 | 4.78km/h | 移動平均速度 | 5.09km/h |
最高速度 | 72.41km/h | 昇降量合計 | 629m |
総上昇量 | 338m | 総下降量 | 291m |
最高高度 | 125m | 最低高度 | 19m |
開始日時 | 2012/02/11 14:43:14 | 終了日時 | 2012/02/11 15:48:18 |
水平距離 | 5.75km | 沿面距離 | 5.83km |
経過時間 | 1時間05分04秒 | 移動時間 | 1時間04分21秒 |
全体平均速度 | 5.38km/h | 移動平均速度 | 5.43km/h |
最高速度 | 10.70km/h | 昇降量合計 | 65m |
総上昇量 | 36m | 総下降量 | 29m |
最高高度 | 104m | 最低高度 | 78m |
2012/02/11 08:25:27
今日も天気がよく快晴です。出発地の西大家まで2時間を越えてしまいました。
前にもみた,駅のそばの國渭地祇神社です。
ここまで歩いてきたとき、南側から見た神社は八幡社とあったけど、西から見た國渭地祇神社は西向きです。
2012/02/11 08:41:34
高麗川の狭い橋を渡ってしばらくいくと、馬頭観音が道端にありました。少し先で右にカーブして緩やかに坂を登る手前で、まっすぐに細い道をいきます。
2012/02/11 08:46:22
県道を横切って,さらにまっすぐ行きます。古道は、この先用水路を越えて、その先の家のあたりから左に行っているようですが、道がないので手前で左に迂回します。
2012/02/11 08:54:39
県道まで戻ると案内板がありました。0.4kmで鎌倉街道とあります。
2012/02/11 08:58:20
400mで鎌倉街道遺跡とある碑がありました。すぐ右手の林中の凹道は、県下でも珍しく旧態を残していると説明があります。凹道の方向は,先ほど進めなかった家の方向のようです。
2012/02/11 09:06:23
林の中の道をすこし歩くと、県道との交差点のところに鎌倉街道上道の案内板がありました。
2012/02/11 09:09:36
古道の趣の残るみちです。
2012/02/11 09:11:33
道標があり川角古墳群だそうです。右手の小さな古墳の上に庚申塔があります。すぐ先で越辺川をわたります。
2012/02/11 09:31:46
古道は川の先は失われているようで,左に迂回して進みます。越辺川沿いのところに常夜燈と石仏がありました。
2012/02/11 09:34:47
県道歩きになり,今宿の集落にはいると八坂神社がありました。
2012/02/11 09:37:12
今宿の交差点のそばには地蔵堂がありました。
2012/02/11 09:46:31
県道から分かれて右に入ったところに石塔などがありました。右の道標には赤沼入口とあるようです。
2012/02/11 10:06:02
大橋の手前に馬頭観音と書かれた石碑がぽつんとありました。
2012/02/11 10:12:32
大橋新橋を渡る手前に石仏・庚申塔が並んでいました。
2012/02/11 10:14:09
橋を渡ってすぐに,大きな鎌倉街道上道案内板がありました。
2012/02/11 10:24:23
少しで左折し,すぐのところにお地蔵さんが祀ってある羽黒堂がありました。
2012/02/11 10:35:25
坂を登っていくと笛吹峠に出ました。新田義宗らの軍が足利軍に敗退したとき,おりからの月明かりに宗良親王が笛をふいたことから命名されたとの伝承があるそうです。
2012/02/11 10:50:28
将軍沢の集落に入ると庚申塔がありました。
2012/02/11 10:51:02
すぐ先の右手には明光寺がありました。薬師如来を本尊とする天台宗の寺だそうです。
2012/02/11 10:55:42
将軍沢のはずれに日吉神社がありました。大山咋命,天照大御神,軻遇突智命を祀っているそうです。
2012/02/11 10:59:43
坂を下っていくと縁切橋がありました。坂上田村麻呂を訪ねてきた奥方に、大命を受けて出陣しているのに何事か、今より縁を切る、立ち去れと宣言したのが由来だそうです。
2012/02/11 11:01:46
すぐ先に,神明宮がありました。訪れている人が沢山いますが,入り口に当寺関係者以外立入禁止の立て札があるなど,なんとなく異様な雰囲気です。
2012/02/11 11:03:39
すぐさきに,安養寺があります。端正な感じのお堂です。
2012/02/11 11:09:05
少し先の左手には向徳寺がありました。遊行寺の末寺だそうです。
2012/02/11 11:12:38
坂を下ると都幾川の橋です。川の右手の林には,畠山重忠が築いた菅谷館跡があるそうです。
2012/02/11 11:28:19
嵐山の町に入ると菅谷神社がありました。源頼朝公に菅谷の地を賜った畠山重忠公が、武運長久の守護神として近江国日吉山の日吉山王権現の御分霊を請願して建久元年(一一九○年)に、日吉山王大権現として奉還勧請し、明治期になって日枝神社、さらには、菅谷神社と改称されたものだそうです。
2012/02/11 11:34:20
踏切への坂を下る手前に東昌寺があり,かわいらしい道祖神がありました。
2012/02/11 11:56:42
踏切の先の交差点そばのコンビニで昼飯にして,サッポロ黒ラベルでのどをうるおし,歩いていると,右手に観音堂がありました。石碑や石塔がならんでいます。
2012/02/11 12:15:56
しばらく歩くと右手に庚申塔がありました。
2012/02/11 12:31:18
また,しばらく歩くと左の民家の生け垣に大黒天の石塔がありました。
2012/02/11 12:33:26
すぐ先の橋の手前の左手に少し行ったところに馬頭観音などが並んでいました。
2012/02/11 12:34:33
馬頭観音から街道に戻ったら,大きな板碑があるのき気付きました。
2012/02/11 12:44:14
しばらく行くと奈良梨の交差点で,八和田神社がありました。JimboさんのHPに,この先に左に入ることがあったようなので,うろ覚えながらそちらに行ってみることにしました。
2012/02/11 12:54:57
少し先を左にはいります。諏訪神社奉祀遺跡の案内があります。少し行くと石碑がありました。
2012/02/11 13:00:32
少し行くと,諏訪神社奉祀遺跡らしきものがありました。天文11年に、信濃の諏訪氏は武田信玄に滅ぼされた時に、諏訪頼忠は難を逃れてこの地に来たとき、時信濃一宮諏訪神社の御神体を携えてきて、この地に奉祀したと伝えられているそうです。
2012/02/11 13:02:19
少し先には,旧鎌倉街道跡とある道標が出てきました。同じような道標がいくつかあり,それにしたがって歩いていると県道184号線に出てしまいました。最後の道標の先で,道なりに左に曲がらず,舗装路を外れてまっすぐ登るのが正しかったようです。
2012/02/11 13:16:48
県道に出て少し行くと,左に入ったところに庚申塔が並んでいました。
2012/02/11 13:20:05
少し先のカーブのところに永昌寺の大松とある碑がありました。年輪が338本ある幹回り4. 5m、樹高27mの大木でしたが,昭和59年に枯れてしまったそうです。
2012/02/11 13:29:45
県道269号線と合流して少し行くと四津山神社入口の碑がありましたが,少し離れているようで神社は見えません。
2012/02/11 13:44:04
市野川を渡り,県道と分かれ川沿いに行くと,兒泉神社がありました。
2012/02/11 13:54:35
県道を渡るところに薬師堂がありました。
2012/02/11 13:54:50
薬師堂のそばには百万遍供養碑などが並んでいます。
2012/02/11 14:07:24
左に曲がるところに如意輪観音の石塔や二十二夜塔があります。
2012/02/11 14:10:17
すぐ先に三嶋神社がありました。
2012/02/11 14:15:53
少し先の普光寺の側には史跡鎌倉街道上道とある道標があります。
2012/02/11 14:35:18
県道81号線を越え,荒川の見えるところまで来ると,一瞬富士山が見えたかと思いましたが,浅間山でした。
2012/02/11 14:35:56
川のほうに向かっていくと鎌倉街道上道とある柱がたっていました。鎌倉街道上道の遺構のようで,昔は普光寺から古道はまっすぐに来ていたようです。
2012/02/11 14:48:22
上流に向かって少し行くと,赤浜の渡しのようです。川越岩があるそうですが,どちらかがそれでしょう。
2012/02/11 15:06:51
川を渡るのに,どこから高架の県道に登るかわかりにくく,丁度犬の散歩中の人がいたので教えてもらいました。川を渡って川沿いを上流に向かいます。
2012/02/11 15:13:23
お墓の側を左に曲がると石碑が沢山ありました。この先小前田に出て,初めての秩父鉄道の旅を楽しみながら帰りました。