開始日時 | 2011/12/13 10:17:27 | 終了日時 | 2011/12/13 13:38:05 |
水平距離 | 16.26km | 沿面距離 | 17.08km |
経過時間 | 3時間20分38秒 | 移動時間 | 3時間10分48秒 |
全体平均速度 | 5.11km/h | 移動平均速度 | 5.36km/h |
最高速度 | 31.02km/h | 昇降量合計 | 524m |
総上昇量 | 257m | 総下降量 | 267m |
最高高度 | 160m | 最低高度 | 18m |
2011/12/13 10:27:09
武蔵小杉,登戸で乗り換え,小田急永山です。多摩ニュータウン通りまで戻り,斜めに入る道を歩き始めます。
乞田の交差点を過ぎ,この先で左に細道を入ります。
2011/12/13 10:30:19
多摩市役所のそばに,古市場の碑がありました。多摩市役所の敷地付近で,戦国時代の16世紀,小田原北条氏時代に,この付近で関戸郷の中心として市が開かれていた場所だそうです。
2011/12/13 10:35:15
左手の木立に,六天社の小さな祠とともに,「滴りに 間というものの ありにけり」という岩原玖々さんの句と,「第六天祠 父子より享けし 夏木立」という句の句碑がありました。
2011/12/13 10:36:24
左の石段の上に,三猿がしたに刻まれた庚申塔がありました。
2011/12/13 10:40:40
少し行くと左手に霞の関南木戸の跡のある熊野神社がありました。
2011/12/13 10:48:03
左手にお地蔵さんがあり,関戸古戦場跡の碑が建っています。新田貞義と鎌倉幕府軍が戦って,幕府軍が敗走したようです。
2011/12/13 10:56:48
多摩川を渡ります。昔は橋はなく,中河原の渡しだったそうです。
2011/12/13 11:03:19
右手の公園に歴史文化の散歩道・旧鎌倉街道散歩の案内板がありました。中河原から国分寺までの古道は2本あったようですが,右の方の道を行きます。
2011/12/13 11:22:16
お腹が空いてきたので,コンビニで助六寿司とヱビスビールを買って,公園で昼食です。その向かいに八幡神社がありました。
2011/12/13 11:40:00
交差点に清月橋の碑があります。市川(府中用水)に架かる清月橋があったところで,橋の名は、昔、この地にあった清月庵という小寺院の寺名に由来するそうです。ここから,古道は一本右の道に移るのですが,まっすぐ行って南武線に突き当たり,少し戻りました。
2011/12/13 11:47:36
歩いているところは下河原線の跡だそうで,明治43年に多摩川の砂利運搬を目的に国分寺・下河原間に開通し,のちに東京競馬場の開設により,旅客業務も行ったが,武蔵野線の開通に伴い昭和51年に廃線となったそうです。このすぐ手前で古道は右に離れていったようで,途中で移ります。
2011/12/13 11:54:24
球場と競技場がある公園のそばに碑がありました。川越街道(かわごえかいど)の名は、この道が川越へ通じることに由来し,道は甲州街道から鍵形に曲がり、その角の家の屋号が"鍵屋"と称することから南端の旧道部分を鍵屋道と呼ぶことが書いてあります。
2011/12/13 12:04:43
三億円事件の舞台です。昭和43年12月10日午前9時20分だったそうで,43年前だったんですね。
この先,加藤塾では,もう一つの古道に移るように案内があったのですが,事件のあった高校2年のころを思い出していたら,まっすぐ行きすぎてしまいました。
2011/12/13 12:28:32
途中で府中街道から史跡通りに移り,駅に着きました。このさき左に行き,府中街道を越えると古道です。
2011/12/13 12:34:27
左に東福寺がありました。畠山重忠との悲しい恋物語のある夙妻太夫の,「傾城之墓」という慰霊碑があるそうです。
2011/12/13 12:37:58
少し行くと,右上に熊野神社がありました。
すぐ先には恋ヶ窪用水の跡が残っています。
2011/12/13 12:49:42
恋ヶ窪交差点を越えると,「厳島大弁財天」と書かれた祠があります。
2011/12/13 12:58:59
五日市街道を右に少し行くと稲荷神社がありました。
2011/12/13 13:02:52
玉川上水に突き当たり,すぐ右の鎌倉橋を渡ります。
2011/12/13 13:16:07
道沿いには,鎌倉街道の標識があり,そのうちに案内板もありました。天平の頃から1本の官道があったなどの説明があります。
2011/12/13 13:35:00
ブリジストンの工場を過ぎ,独身寮で1年過ごしたあたりにやってきました。交差点は九道の辻だそうで,江戸街道、引股道、宮寺道、秩父道、御窪道、清戸道、奥州街道、大山街道、鎌倉街道の九本の道がここで分岐していたとのことです。
少し早いですが,33年前の独身生活を感慨深く思い出しながら,この日はここから帰りました。