開始日時 | 2011/11/13 08:35:53 | 終了日時 | 2011/11/13 15:05:47 |
水平距離 | 31.95km | 沿面距離 | 34.52km |
経過時間 | 6時間29分54秒 | 移動時間 | 6時間10分34秒 |
全体平均速度 | 5.31km/h | 移動平均速度 | 5.57km/h |
最高速度 | 9.95km/h | 昇降量合計 | 948m |
総上昇量 | 500m | 総下降量 | 448m |
最高高度 | 174m | 最低高度 | 26m |
2011/11/13 08:44:33
いずみ中央から,かまくらみちまで戻ってすぐに,無量寺がありました。大きな銀杏の木があります。文禄二年(1593年)に、鎌倉の安養院第19世の深誉呑霊上人が開いたそうです。
2011/11/13 08:55:24
少し行くと飯田神社がありました。サバ神社の一社だそうです。
2011/11/13 08:56:04
鳥居前に地蔵像・七観音像・庚申塔・道祖神が立っています。
2011/11/13 09:01:50
いちょう団地入口をすぎて左に入ります。曲がり角のそばに甲子塔があります。
2011/11/13 09:10:06
いちょう団地ぞいの道と並んだ一本右の道を行きます。いちょう小学校を過ぎたあたりに,二十三夜塔と道祖神があります。
2011/11/13 09:17:06
羽太郷土資料館の前に,江戸柳明の古地図がありました。
2011/11/13 09:31:03
相沢川にそって,宮久保公園や上和田中学校の裏手の地道を行きます。
2011/11/13 09:41:37
ずいぶん前に瀬谷八福神めぐりをしたときに,宗川寺から全通院へと歩いた道です。全通院には寿老人が祀られています。
2011/11/13 09:46:44
中原街道を渡り,瀬谷八福神の一つ福禄寿が祀られている宗川寺に着きました。
2011/11/13 09:54:31
しばらく行くと柵で囲われ庚申青面金剛像(元禄)・地神塔・道祖神がありました。
2011/11/13 09:55:06
すぐさきが左馬神社です。境内に梵鐘があり,神社の境内に梵鐘があるのは区内唯一との説明がありました。
2011/11/13 09:57:39
神社の隣には瀬谷八福神の一つ布袋和尚が祀られている西福寺があります。
2011/11/13 10:02:23
厚木街道を越え,少し行った三叉路の真ん中に,道祖神が残っています。
2011/11/13 10:09:00
右手奥に徳善寺の山門が見えました。こちらには瀬谷八福神の一つ毘沙門天が祀られているそうです。
2011/11/13 10:11:46
かどに道祖神がありました。右に進みます。
2011/11/13 10:13:27
左手に日枝社がありました。本殿横に欅の大木があるそうです。
2011/11/13 10:18:37
右手に瀬谷神明社がありました。
2011/11/13 10:20:29
欅の大木が通りに並んで,大きな門構えの農家もならんでいます。一軒の農家には壁にとうみなどがかけてあります。
2011/11/13 10:25:38
右手の広い屋敷のところに瀬谷銀行の跡の説明板がありました。養蚕業が隆盛をきわめたころ、明治40年(1907年)に創業し、30年にわたり地域金融業の中心となり、実業界・政界に影響を与え、地域の発展に寄与したことなどが説明されています。
2011/11/13 10:29:16
右手に瀬谷八福神の一つ恵比寿様が祀られている善昌寺がありました。
2011/11/13 10:31:03
県道に合流したところに北向地蔵がありました。
2011/11/13 10:33:45
右手に瀬谷八福神の一つ大黒様が祀られている妙光寺があります。昔に八福神めぐりで歩いたのはここまでで終わりです。
2011/11/13 10:36:47
左から細道が合流しているところに地神塔がありました。
2011/11/13 10:41:52
右手の高いところに若宮八幡があります。東名高速道路ができたときに,ここに移設したようです。
2011/11/13 10:50:08
東名高速道路を越え、県道とはなれて右に入った工場の間の道です。
2011/11/13 10:54:03
国道246号線沿いに出て、境川のそばにでました。10年前程にジョギングで走ったところです。
2011/11/13 11:01:02
246と別れ英検の試験会場のようであった東京女学館大のそばを通っていきます。
2011/11/13 11:31:02
16号線の大和バイパスを渡ったところのコンビニで,焼きそばチャーハンセットとヱビスビールで昼飯を済ませて,歩き始めてすぐの右上に熊野神社がありました。
2011/11/13 11:43:03
杉山神社に向かいますが,畑の中のあぜ道です。
2011/11/13 11:46:13
杉山神社につきました。端正な雰囲気のよい社です。
2011/11/13 11:55:48
広い道に出て,町田に向かっていくと,右手にこんもりと木々が生い茂ったところに金森天満宮がありました。裏手は市民の森になっているそうです。
2011/11/13 12:04:12
JRの線路に近づいてくると道が細くなります。左手に杉山神社がありました。
2011/11/13 12:12:36
JRを渡る手前に町田天満宮がありました。七五三のお参りの人で賑やかです。
2011/11/13 12:16:37
町田の商店街にかかると,お祭りで賑やかです。人混みをかき分けて進みます。
2011/11/13 12:25:12
スキー仲間と宴会する「ほへと」や柿島屋の近くを通って,小田急の踏切にさしかかりました。
2011/11/13 12:47:58
G鶴川街道との交差点のそばに,本町田の菅原神社がありました。菅原道真が祀られているそうです。ここも七五三のお祝いの人がたくさんです。
2011/11/13 12:53:30
鶴川街道を少し行って,恩田川の先で川に沿って左に曲がります。そのさきに養運寺がありました。永禄10年(1567)創立だそうです。
2011/11/13 12:57:46
すぐ先に,こちらは歴王元年(1338)創立の宏善寺がありました。この先,せせらぎに沿って歩きます。
2011/11/13 13:15:25
今井谷戸の交差点をすぎて,住宅街の坂を登ります。早く左に行き過ぎて行き止まりに出てしまいましたが,戻って山頂の無線中継所に向かいます。
2011/11/13 13:20:12
右にダリア園がつづいています。
2011/11/13 13:23:27
道を越え,七国山のかまくらみちの入口です。
2011/11/13 13:24:28
少し行くと鎌倉井戸がありました。『鎌倉時代に掘られたものと言われ、新田義貞が鎌倉攻めの軍を進める途中、ここに井戸を掘り、軍馬に与えたと語り伝えられている。井戸の深さは約4mあまり、表土の部分は長い年月の間に崩れ落ちているが、地表から約1.5m下のローム層の部分には、下方に直径約70cm程の円筒形の井戸が原型のまま保存されている。この層から汗の様に滲み出た水が溜まるものと考えられている。』と説明されています。
2011/11/13 13:26:53
このような山道を行きます。
2011/11/13 13:36:14
下って,左手に行くと稲荷神社がありました。
2011/11/13 13:46:58
芝溝街道から分かれ,左に登っていくと地道になりました。
2011/11/13 13:53:26
下っていくと野津田公園にでました。この先,間違って競技場沿いの道を少し行きましたが,左手に登っていくのが正解です。
2011/11/13 14:00:41
公園の駐車場を越えたところに野津田の一里塚跡がありました。説明板によると,家康の遺骨を久能山から日光に運んだときに造られたそうです。
2011/11/13 14:04:20
左に下っていくと地蔵堂がありました。
2011/11/13 14:04:46
すぐそばに,こちらは小さなお地蔵様があります。
2011/11/13 14:07:13
左に小野神社がありました。小野篁の七代の孫小野孝泰が武蔵の国司として天禄年間頃赴任し、小野路のこの地に小野篁の霊を祀ったことに由来するそうです。
2011/11/13 14:14:30
宿場だった小野路から左に登っていきます。お地蔵さんがありました。右に見える道を行きます。
2011/11/13 14:16:08
薄暗く古道の雰囲気があります。
2011/11/13 14:25:46
山道を抜け,下っていくと広い道にでました。右手に妙櫻寺がありました。
2011/11/13 14:46:27
ニュータウンの広い道を下っていくと左手に貝取神社がありました。この先,永山駅に出て帰りました。