開始日時 | 2011/10/16 08:55:50 | 終了日時 | 2011/10/16 13:35:57 |
水平距離 | 21.01km | 沿面距離 | 22.67km |
経過時間 | 4時間40分07秒 | 移動時間 | 4時間09分39秒 |
全体平均速度 | 4.86km/h | 移動平均速度 | 5.39km/h |
最高速度 | 47.05km/h | 昇降量合計 | 564m |
総上昇量 | 283m | 総下降量 | 281m |
最高高度 | 144m | 最低高度 | 1m |
2011/10/16 09:05:00
かまくらみちのうち、上の道をあるいてみることにしました。
スタートは鶴岡八幡宮です。
2011/10/16 09:08:46
少し歩くと川喜多映画記念館がありました。生涯を通して映画と鎌倉を愛した、川喜多長政・かしこ夫妻の旧宅のようです
2011/10/16 09:15:41
岩船地蔵の角です。中の道は右に曲がりますが、上の道はまっすぐ横須賀線のガードをくぐります。
2011/10/16 09:26:01
少し歩いて左に曲がり、上っていくと化粧坂です。
上りきって、少し迷いましたが、梶原のほうへ緩く下っていき、梶原の住宅地の広い道を行きます
2011/10/16 10:10:31
深沢中学校と小学校の間を上り、また下っていくと、駒形神社がありました。
2011/10/16 10:13:04
少し行くと、湘南モノレールを横切ります。
2011/10/16 10:20:07
JR大船工場のそばを過ぎ、細い道で坂を越えていきます。
2011/10/16 10:21:13
越えた所に、道祖神などがありました。
2011/10/16 10:27:54
少しさきに、泉光院があります。手広の青蓮寺の末寺だそうです
2011/10/16 10:36:29
川に沿って少し下り、橋を渡って神戸製鋼に沿って行くと、工場内に兜松と八ツ嶋の説明がありました。後三年の役の後、八幡太郎義家がかねて祈願した御霊神社に戦勝のお礼参りをし、記念に松の根元に兜を埋めたのが兜松の由来で、八ツ嶋は、新田義貞の鎌倉攻めの戦死者をお葬ったところだそうです。
2011/10/16 10:38:35
山道になりました。左の上には御霊神社があるそうです
2011/10/16 10:57:09
JRを渡って、新しい武田製薬の工場を迂回して上っていくと、平良文(村岡五郎) によって築城されたという村岡城跡がありました。
2011/10/16 11:01:37
坂を下っていくと日枝神社です。御祭神は、大山咋命(おおやまくいのみこと)と村岡良文公だそうです。
2011/10/16 11:18:39
少し歩いてコンビニがあったので、発泡酒と焼きそばで昼飯をすませます。すぐ先の右の壁の上に慈眼寺がありました。
2011/10/16 11:22:43
今日は天気もよく、富士山が見えています。
2011/10/16 11:29:12
右手に行くと、柄沢神社がありました。御祭神は、天照皇大神と孝安天皇だそうです。
2011/10/16 11:33:35
左手に下ると、道祖神がありました。
2011/10/16 11:44:32
少し先を左にいくと、急坂を登ります。
2011/10/16 11:52:37
東海道に出て、藤沢バイパス入口を越えると、道祖神が並んでいました。
2011/10/16 12:07:47
八坂神社の鳥居だけがポツンとありました。
2011/10/16 12:08:08
鎌倉街道西の道(上の道)の説明がありました。新田義貞の鎌倉攻めに、この道を進軍したとのことです。
2011/10/16 12:09:36
坂を下ると八坂神社の本殿です。祭神は素護鳴尊だそうです。
2011/10/16 12:23:44
ホテルエンパイアが近くに見えてきました。今は横浜薬科大学の図書館棟となっているようです
2011/10/16 12:29:10
県道を横切ったところに、庚申塔などが並んでいました。
2011/10/16 12:32:16
少し行くと俣野神社がありました。祭神は須佐之男命 ( すさのおのみこと ) と欽明天皇だそうです。
2011/10/16 12:40:42
少し行くと庚申塔がありました。左(安永5年)、中央(昭和43年)、右(弘化3年)の銘があるそうです。ここを右に行きます。
2011/10/16 12:57:38
東泉寺がありました。曹洞宗で鎌倉龍宝寺の末寺だそうです。
2011/10/16 12:58:03
東泉寺のそばには、大物主神と崇徳天皇を祭神とする琴平神社があります。
2011/10/16 13:05:37
公園に「富士塚城址」の石碑がありました。そばに「富士塚城址」の説明板があり、源頼朝の危機を救った飯田五郎家義の館があったなどの説明があります。
2011/10/16 13:12:33
右に入って、少し行くと左馬神社がありました。鯖神社など、「サバ」と読む神社が境川中流域などに、12社あるそうで、源義朝を祀っているそうです。
2011/10/16 13:17:40
左に入っていくと、美濃口家の長屋門があり、美濃口春鴻の説明がありました。享保18年の生まれで、江戸期を代表する俳人だったそうです。
この日は長後街道にでて、いずみ中央から帰りました。