開始日時 | 2020/04/04 07:39:01 | 終了日時 | 2020/04/04 14:39:46 |
水平距離 | 35.64km | 沿面距離 | 36.22km |
経過時間 | 7時間00分45秒 | 移動時間 | 7時間00分22秒 |
全体平均速度 | 5.17km/h | 移動平均速度 | 5.17km/h |
最高速度 | 14.33km/h | 昇降量合計 | 1899m |
総上昇量 | 950m | 総下降量 | 949m |
最高高度 | 90m | 最低高度 | -88m |
2020/04/04 07:41:10
秩父坂東西国順礼行程記に紹介されている江戸から小川村経由での四萬部寺への道を歩いてみることにし、前に歩いた中山道の板橋から歩くことにしました。
板橋駅のすぐそばを通る中山道を歩き始めます。
2020/04/04 07:48:09
国道と合流したところが平尾追分です。中山道と分かれて川越に向かいます。
2020/04/04 08:18:14
下頭橋の手前に六蔵祠がありました。六蔵という乞食の貯めたお金で石橋を造ったという話が伝えられているそうです。
2020/04/04 08:38:13
もともと一本橋付近にあったものを明治初年に川越街道に面したガッカラ坂と呼ばれる当地にうつしたことなどが説明されています。
2020/04/04 08:44:42
右手の広場に下練馬宿の説明板がありました。
2020/04/04 08:48:13
富士大山道が分岐していたようです。
2020/04/04 08:54:10
天和2年の北町聖観音座像がまつられています。
2020/04/04 08:54:24
観音堂の横には馬頭観音や庚申塔などが並んでいます。
2020/04/04 09:16:29
地下鉄赤塚駅のそばに像の乗った鎌倉古道の標柱がありました。中の道の脇道だそうです。
2020/04/04 09:29:43
小治兵衛窪というのは小治兵衛という盗賊に由来するようです。
2020/04/04 09:39:34
坂を下っていると、左に子育て地蔵がありました。道祖神・常夜燈・稲荷祠も集められているそうで、新田坂の石造物群と紹介されています。
2020/04/04 10:29:42
由来は不明です。
2020/04/04 10:33:15
右手に古い民家がありました。膝折宿脇本陣「村田屋」だそうです。
2020/04/04 10:40:42
左の旧道に入るところに庚申塔がありました。
2020/04/04 11:08:57
元禄9年のものだそうで、右に芭蕉句碑もあります。
2020/04/04 11:58:16
街道沿いに庚申塔がありました。享和2年のものです。
2020/04/04 12:18:36
大井宿と本陣跡の標柱と説明板がありました。
2020/04/04 12:31:15
「大山・武蔵野地蔵・ところさわ」とあるそうです。
2020/04/04 12:56:48
右手に藤馬中宿跡の碑がありました。
2020/04/04 13:11:00
お堂があり庚申塔がありました。宝永5年のものだそうです。
2020/04/04 14:10:11
南側から川越城に向かいます。田曲輪門跡の碑がありました。後ろの高くなったところが富士見櫓跡だそうですが入れないようになっています。
2020/04/04 14:14:48
今日のゴールにしていた川越城本丸御殿に着きましたが、コロナの影響で閉まっています。
2020/04/04 14:20:18
本川越の駅に向かいます。中ノ門堀跡がありました。
2020/04/04 14:26:44
観光客が多い蔵造りの町並みを通って帰りました。新型コロナがなければもっと混雑しているのでしょう。