新編武蔵国風土記稿の下井草村、天沼村、阿佐ヶ谷村のところに、「又東北の界に所澤への道あり、豊島郡下石神井村より當郡中野村へ達す、村にかゝること十五町許」、「又東の方阿佐ケ谷村より北の方井草村に達する道あり、江戶四ツ谷への道なり、村にかゝること三町許」、「また中野村追分より豊島郡石神井村への道あり、天沼村より入馬橋·上沼袋二村の間に達す」とあり、「街道を尋ねて」(第7) 石神井・所沢道と迅速地図によりルートを想定しました。また、神山村のところに、「村內東西する一路あり、西堀村より栗原·石神二村の間に至る、村內をふること凡十町、道幅二間半より三間に及ぶ」とある道も経由していると思われます。
JR中野駅で旧道が消失した先、早稲田通りの野方警察署前交差点にある地蔵堂の道標に「此方 中野宝仙寺」とあり、旧道は、この交差点に向かっていたようです。この旧道は明治に軍用地となり、その後も警察学校になって歩くことが出来なくなっていましたが、警察学校が移転して旧道に近いところを歩けるようになっています。(参考:「徳川将軍家ゆかりの地と陸軍用地」三井住友トラスト不動産)
また、所沢の上安松東交差点から北西への霊源寺の北を通る古道を所沢道として歩いている人もいるようですが、迅速地図には真っすぐ行く道が二重線で描かれているので、「街道を尋ねて」と同様にしました。