新編武蔵風土記稿の豊島郡総説、下戸塚村、金井久保村のところに
「又江戶西邊より中山道へ出る一條あり、牛込高田雜司ケ谷より、田間を經て下板橋に出づ、里程は、牛込より一里三十町餘、」、
「村の西に係る往還は、牛込邊より雜司ケ谷への道にて、道の北界を奧州の古道と云、」、
「村內に大塚扜雜司ケ谷邊より中仙道に通じ、又河越道に至るの便路あり、村の中程に石地藏一軀を建て、上下板橋に分るゝ岐路を示せり、」、とあります。
迅速地図を参考道筋を下図に示してあります。
また、新編武蔵風土記稿の池袋村のところに
「江戶大塚より板橋に通ふ路少く係る、幅三間許、」、とあります。
こちらも迅速地図を参考道筋を下図に示してあります。