新編武蔵風土記稿の下目黒村
のところに 「又池上道の傍に町並をなしたる地段別三町七段四畝歩、延享三年より町奉行支配となり、下目黑町と唱ふ、」とあり、
中延村に、「村內二條の往還あり、其一は相州中原へ通ふ、是を中原道と名つく、北の方戶越村の界より南の方馬込村の方へ貫けり、一條は池上道と呼ふ是は中原道の岐路なり、村の北の方戶越村の界にて別れ、それより東南へ向ひ馬込村を經て池上村に達す、村老の話に此道古は奧州への海道にして、矢口村の方へ續きたりしと、」、
とあります。
迅速地図を参考に道筋を下図に示してありますが、当初池上本門寺の西側を通るルートとしましたが、中延村から東南に向かい、池上本門寺の東側を行くのが正しいルートと思い、付け加えました。矢口村までは旧道は、区画整理にであまり残っていません。古川薬師を通って六郷で東海道に合流するまでも付け加えました。