新編武蔵風土記稿の品川宿のところに 「南品川宿二町目三町目の間より西に分るゝ往還あり、池上道と呼、大井村境まで長凡八町幅三間許」とあります。その先は、
大井村に、「又池上道と云往来あり、今の海道よりは西に当たりて品川宿より此村へ係り、南の方新井宿村に入る、是は池上本門寺の前より平間の渡へ達する道なり、或は云是古海道の跡にて僅に其形残れるなりと、」、
新井宿村に、「村内に一條の路あり、東の方大井村よりいりて西につらぬき市の倉村に達す、これを池上往来と称す、」、
堤方村に、「東方に一條の往還あり、新井宿村より入、徳持村に通す、村内に係ること五町餘、道幅二間半より或は三四間に及へり、是を稲毛道と云、」、
池上村に、「村內一條の往還あり、東の方堤方村より入り、本門寺の門前を橫ぎりて西の方德持村に達す、この往還郡中品川宿より橘樹郡稻毛領に達す、故にこれを稻毛道とも、或は品川道とも呼べり、」、
徳持村に、「東より西へ貫て一條の往還あり、是を稲毛道と呼ぶ、」と、品川から平間の渡しまで続いている道になります。
迅速地図を参考に道筋を下図に示してあります。今の池上通り(都道421号線)に大体沿っています。
なお、天保国絵図には、下丸子村の手前から鵜ノ木村を通って丸子の渡しに向かう道があります。