新編武蔵国風土記稿の保木間村のところに、「花又村の境に古の奧州街道なりと云小徑あり」とあります。千住花又瀬崎辺之図に、「もっとも西側(左側)の道が日光道中、並行している蛇行した道が古い奥州街道(「新編武蔵風土記」等)と口伝がある道海道(どうけみち)、右端が綾瀬川」との説明を参考に陣族地図からルートを作成しましたが、日光街道に合流する手前ははっきりしません。また、江戸時代以前の越谷を通る奥州古道には、綾瀬川沿いに奥州道が描かれています。